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藪の中で「悪と罪」を考える|金原ひとみ『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』読書感想文

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金原ひとみの『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』は、ひとつの性トラブルの暴露をきっかけに、現代社会が抱える“パンドラの箱”が開かれる長編小説です。

タイトルの通り、芥川龍之介の『藪の中』を彷彿とさせる構成で、見ているものは同じはずなのに、視点が変わると見え方も変わるーー人々の「分かり合えなさ」に、「じゃあ、自分はどうなんだろう」と考えさせられる作品でした。

ヤブノナカには何がある?

本作を読んでいて、まず思ったのが、「この藪の中には、何があるんだろう」ということでした。

ひとつの性トラブルの暴露をきっかけに、登場人物たちはそれぞれの立場から意見を語り始めます。

世代や性別、置かれた環境によって受け止め方が違うのはもちろん、「それは悪だ」と積極的に声を上げる人もいれば、判断を保留する人もいる。

特に、しっかりとした意見を持つ人の言葉は力強く、つい「それが正しいのだろう」と思わされます。

けれど、その正しさだけで本当に世の中はうまく回るのだろうか。

そんな不安が、読んでいるあいだずっと消えませんでした。

そして、正しさによって世界を変えようとする人々の姿を見ているうちに、私はなぜか三島由紀夫の『金閣寺』を思い出したのです。

「悪」を滅ぼすことはできない

三島作品の主人公が、なぜ金閣寺を燃やさなければならなかったのか。

本作で私が追いかけ続けた「藪の中」には、それとどこか似たものが潜んでいるように思えました。

これは個人的な感想ですが、『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』に描かれる告発には、どこか復讐の影がつきまとっています。

もちろん、被害を受けた側が声を上げることそのものを否定したいわけではありません。

ただ、たとえ告発者に有利な風向きになったとして、その先に当事者たちの安寧はあるのだろうか、と考えてしまう。

本作には、「でも、同意のない性暴力は100%悪だろ」と主張する人物も登場します。

私自身、その言葉には強くうなずきたくなる一方で、なぜか引っかかりも覚えました。

そこで思い浮かんだのが、『金閣寺』の一節です。

殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。

『金閣寺』を読んだ私が受け取ったのは、邪悪な人物を一人排除したところで、空いた場所にはまた別の邪悪さが入り込むだけなのではないか、という感覚でした。

何かを正したくて誰かを消したとしても、消したはずのものは別の姿で戻ってくる。

そんな社会の虚しさを突きつけられたように感じたのです。

悪と罪は別のものとして考えてみる

そもそも、性暴力を「悪」として捉える出発点そのものが、少しずれているのかもしれない。

私は本作を読みながら、「悪」という言葉に少し居心地の悪さを覚えていました。

悪という言葉はとても強いけれど、戦争で正義が立場によって反転するように、どこか主観的で曖昧なものでもあります。

一方で、性暴力は実体を持つ行為です。

誰かが傷つき、被害を受けたという現実がある。

だからこそ、それは「悪」ではなく、まず「罪」として扱うべきものなのではないか。

そう考えたとき、本作で交わされる激しい議論の見え方が少し変わりました。

でも僕はね、個人こそ叩かないといけないと思ってるんです。元を突き詰めれば、個人の腐敗が加速していくことによって、腐敗が構造化してるんですから

「100%悪だ」という言葉は、たしかに人を動かす力を持っています。

けれど、その主観的な正しさだけで出来事を裁こうとすると、いつの間にか別の暴力を生み出してしまうこともある。

私が本作を読みながら何度も息苦しさを覚えたのは、その危うさを感じたからなのかもしれません。

パンドラの箱の底に残るもの

もちろん、現実に起きたひとつひとつの出来事を、単純に「罪」という言葉だけで片付けるのも違うでしょう。

納得できるまで声を上げ続けたい人がいることも、受け止めなければならないと思います。

私自身、女性として読んでいて、男性登場人物たちのスタンスに気持ち悪さや怒りを覚える場面が何度もありました。

極端な話、ディストピアSFのような超監視社会になって、罪には必ず相応の罰が与えられればいいのに、とすら思う。

けれど、そんな世界は現実には存在しません。

だからこそ私は、本作の終盤で描かれるパンドラの箱の底に、少し救われたような気持ちになりました。

すべてを解決する答えではなくても、最後に残された何かを抱えながら生きていく。

それくらいが、人間にはちょうどいいのかもしれない、とも思うのです。

ゆらゆら揺れる積み木の塔は美しい

私にとって『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』は、積み木のような作品でした。

本作には、ひとつの絶対的な真実がありません。

登場人物たちはそれぞれの正しさを語るけれど、そのどれもが少しずつ傾いていて、完全ではない。

それでも、それらが複雑に組み合わさることで、物語は不思議な均衡を保っています。

振り返れば、伏線という言葉で語りたくなるほど巧妙な作品なのですが、周到に計算された機械のような印象ではない。

むしろ、さまざまな形の積み木がゆらゆらと揺れながら積み上がり、絶妙なバランスで立っている塔を見ているようでした。

その塔は不安定で、歪で、ときに今にも崩れそうに見える。

けれど、だからこそ美しい。

『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』は最後まで私を藪の中から出してはくれませんでした。

それでも、その迷い続ける時間そのものが面白かった。

そんな危うさそのものを作品の魅力に変えてしまった小説だったように思います。